軍師官兵衛雑誌

昨年(2013年)末から、福岡の書店は大なり小なりこんな感じでした。
ブームに乗り遅れてはいけない!っで、管理人も読んでみることにしたんです。

軍師官兵衛雑誌
軍師官兵衛雑誌

読んだのは、この2冊。まあ、だいたい似たようなことが書いてあります。
黒田官兵衛の生い立ちと人となり。代表的な合戦の様子。家臣団(黒田二十四騎)のことなど。その中で、管理人の琴線に響いたこと。ちょっと書いておきます。

博多では、黒田家は進駐軍的な見方だった

ひとつ残念なのは、もともと商人の町としての歴史が古かった博多では、黒田家はどこか進駐軍的な見られ方をしてきたことです。ですから、これほどの人物でありながら、官兵衛は郷土の英雄として見られていませんでした。
晋遊舎 黒田官兵衛 17ページより引用)

あー、これはそうかも知れない。と思います。というのも、熊本の加藤清正、上越の上杉謙信、甲府の武田信玄、信州上田の真田昌幸のような、今でも地元の人に親しまれている領主と違って、福岡の黒田官兵衛・長政はちょっと扱いが違う気がします。他の地方ほど、親しまれていないという感じは否めません。

博多祇園山笠の時期になると聞かれる「武士の町・福岡と商人の町・博多」という言葉もちょっと違和感があります。たしかに武士と町人は住むところが違うでしょうが、あえて、こんな言葉で表現するのは両者に見えない壁があったのかなと思います。

後藤又兵衛

軍師官兵衛雑誌

家臣団の中で、管理人がほぼ唯一知っていたのは、後藤又兵衛(基次)です。というのも、黒田家の家臣でありながら(正確には元家臣)、大阪夏の陣に豊臣方として参加していたから。非常に優秀な人物であったけれど時代に翻弄されたんですね。追放の身分でありながら、黒田二十四騎に数えられているというのも、ちょっぴり寂しさを感じます。

母里太兵衛

軍師官兵衛雑誌

大河ドラマでは、「もりたへえ」と読まれるでしょうが、福岡の人は「ぼりたへえ」と読みます。母里(ぼり)さんという名字の方も、福岡ではちらほら見かけます。昔は、変わった名前だなと思っていたのですが、名門のお名前なんですね。

黒田節のモデルとなった人物。酒豪でもあり、大変な豪傑だったそうです。博多駅前に、大盃と槍を持った裃の銅像がありますがこれは彼の銅像です。鷹取城から大隈城。そしてお墓は嘉麻市にあるそうで、現在の筑豊地区にゆかりのある武将だったんですね。

官兵衛ゆかりのスポット

官兵衛が福岡に居たのは晩年のお話。最後の築城となった福岡城、草庵も設けていたという太宰府天満宮、県庁前にある崇福寺などが歴史上ゆかりのスポットなんですね。行ったことのある場所もありますが、改めて巡ってみたいと考えています。