黒田官兵衛の家臣団で、一番の豪傑といえば、そう母里太兵衛(ぼりたへえ)です。(後藤又兵衛も捨てがたいですが。。。)大河ドラマでは、速水もこみちさんが演じている武将です。黒田家臣団で、福岡市に銅像がある人物って、母里太兵衛以外にいないというくらい、親しまれている武将と言えるでしょう。
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博多駅前、黒田節の像
博多駅、博多口を出てすぐ左。ウィングみたいな屋根を抜けた、この銅像が母里太兵衛です。
元々大柄な武将だったとのことで、凛々しさもありますね。でも20数年前、高校時代から、この銅像の前を通ったけど、こんなに注目して見たのは正直初めてです。
あ、ちなみに槍の部分は、テープみたいなのでぐるぐる巻きにしてあります。意外と鋭いので、手を怪我しないようにという配慮でしょうか?
母里太兵衛屋敷跡
福岡市天神の中心地、パルコ前の天神交差点から、福岡城址というか西鉄グランドホテルに向かって歩くと、
福岡証券取引所を通って、野村証券に出てきます。
ここに、母里太兵衛の屋敷跡の碑があります。以下、碑の引用
この地は黒田二十四騎のひとり、母里太兵衛(母里但馬友信)の下屋敷跡である。
母里太兵衛は勇猛かつ思慮に富む武将であると同時に無類の酒豪であり、秀吉配下の福島正則に酒を強いられ升余の朱杯を呑みほし、ついに正則秘蔵の名槍「日本号」を得たことはよく知られている。
この故事が黒田節の意志を示すものとして、今様の「黒田節」につくられ広く愛唱されている。
なお、手水鉢は当時母里家で使われていたものと伝えられている。黒田節
酒は呑め呑め呑むらなば
日の本一のこの槍を
呑みとるほどに呑むならば
これぞまことの黒田武士
有名な母里太兵衛の逸話です。
ちなみに、手水鉢というのはこれを指しているんだと思います。
管理人は、日本号の槍を携え、関ヶ原で石田三成の人質にならぬよう、長政夫人を救い出し、福岡に連れて帰った話が大好きです。
母里太兵衛、長屋門
上記の母里太兵衛屋敷跡の長屋門を、福岡城址に移築したのが、以下の画像の長屋門です。
明治通り、昭和通から国体道路に向けて、城の中を通るバスどおり道がありますが、その途中にあります。
管理人は知らなくて、この建物は長年トイレだと思っていました。城内のトイレは、こんな感じの建物なんですよ。
母里太兵衛がなくなったのは1615年。ちょうど、大阪の陣の戦争が終わった時で、後藤又兵衛と同じ年に、福岡の地で亡くなったんですね。
追記 2014/04/27(日)
福岡市に光雲神社という、黒田官兵衛孝高、長政を祀る神社がありますが、この境内にも母里太兵衛の銅像があります。光雲神社へ行った感想記事は、後日公開予定にしていますのでお楽しみに。記事を公開しました。(2014/5/20追記)