福岡地元の西日本新聞に、官兵衛が着用したであろうとされる甲冑が飯塚市の老舗菓子屋にて展示されている。そんな情報を見て、早速行ってみることにしたんです。
記事下に地図リンク、付近の飲食店情報を掲載しています福岡藩祖・黒田官兵衛が着用したとされる甲冑(かっちゅう)が福岡県飯塚市本町のまちなか千鳥屋本家ギャラリーで初めて公開されている。5日に放送が始まるNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に合わせ、官兵衛ゆかりの地、飯塚をPRしようと千鳥屋本家が展示した。5月12日まで。(以下略)
官兵衛の甲冑ご覧あれ 飯塚のギャラリーで企画展 [福岡県] – 西日本新聞(2014年01月04日)
千鳥屋本店にて
千鳥饅頭のチロリアンって、全国的にどの程度知名度があるんでしょうか?
昔はCMでバンバン流れいていたので、福岡県民であればまず知らない人はいなのでは。。。と思います。地図は記事末にも掲載してます
場所はここ。飯塚市のかつて栄えたメインストリートの中にあります。
千鳥屋本店に行かれる方は駐車場が利用できますので、車で行くのもいいと思います。
伝官兵衛着の兜・甲冑の展示は2階
お店で名物のチロリアンとか、千鳥饅頭などを買ったのち、「兜はどちらでしょうか?」とたずねると、「あ、ご案内します」といって、一人の店員さんが通していただきました。
すごく趣がありますね。古い豪商の建物という感じ。
これが、新聞で紹介されていた甲冑。千鳥屋の社長さんの知人の方が所有されているのを、お借りして展示されているようです。官兵衛の兜と言えば、お椀を逆さにしたような赤い兜(銀白檀塗合子形兜・ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)が有名ですよね。
九州平定時には、あの兜をかぶっていたようですが、他の戦の時には、この写真の兜を身に着けた時があったんでしょうかね。思ったよりも小さかったですが重みを感じました。
これは、長政公直筆の書だそうです。個人蔵というのがすごい。
これは、黒田二十四騎の図。二十四騎の図はたくさんあって、そのうちの一部だと思います。栗山利安、後藤又兵衛、母里太兵衛くらいしか、今のところ分からないです。
ひな人形や、書などほかにも
官兵衛ゆかりの品もあったけど、それほかの品も見事でした。ひな人形や書、欄間の彫刻など、ふすまの取っ手が千鳥になっていたり、ランプの装飾が千鳥になっていたり、お金持ちだったんですね。やっぱり定番お菓子は儲かる。北海道の白い恋人の工場兼コレクションを見た時も、そう感じました。
千鳥饅頭、チロリアン食べてみた
せっかくなので、ひさしぶりにお菓子を食べてみました。
素朴な美味しさだけど印象に残るんですよね。饅頭が名物だったお店が、洋風なお菓子を出したということで、当時は相当話題になったでしょうね。上記の写真のセットで、250円。いろんな味が楽しめます。
これが代表的なお菓子。千鳥饅頭。中の白あんは「ひよこ」と味が似ていますが、皮がパリッとして、香ばしい風味がする一品。好みの差はあるでしょうが、昔から管理人は千鳥饅頭のほうが好きでした。
これは、官兵衛大河ドラマにあわせた新商品のようです。外はパイ。中は白あんに栗が入っています。
博多りっちゃん(千鳥屋ホームページより)
商品説明ページによると、
黒田官兵衛が豊臣秀吉の命を受け慶長の役(一五九七年)に朝鮮に出兵し飯塚宿に逗留されその折、戦勝を祈念し勝野(小竹町)で採れた栗(勝栗)を献上しましたらみごとに勝利をおさめる事が出来、官兵衛も非常に喜びその栗を勝栗と名づけ、この地方では勝利や幸を願う食べ物として栗を食します。このことにちなみ縁起物の菓子として栗の風味を生かした勝栗が誕生し「博多りっちゃん」と名づけました。
とのこと、なるほど。よかったらあなたも食べてみてください。
飯塚市、おすすめスポットまとめ
筑豊エリアの中心地、飯塚市のおすすめスポットについてまとめました。「ひよこ」や「千鳥饅頭」の発祥地でもあるスイーツの美味しいところ。お得に買い物ができる意外なエリアもある場所です。
福岡スイーツまとめ
飯塚市のスイーツ、お菓子屋さんについてまとめました
江戸時代、外国と交易できたのは唯一長崎だけでした。この長崎から江戸へ向かう道、途中小倉までは長崎街道と呼ばれ、とても重要な道路でした。当時、外国から砂糖が輸入されて、長崎街道沿いに広がって行ったので、この道は別名シュガー…
スイーツ、お菓子の工場直売、アウトレット販売のある場所
福岡はお菓子どころ、スイーツどころ。たくさんの工場があって商品を出荷しています。 そこで、嬉しいことにアウトレットというか、工場直売で安くお菓子が手に入る場所も少なくありません。管理人もいくつか行ったことがあるし、これか…
匿名希望さま
コメントありがとうございます。途中、特定のお名前が出てきましたので、こちらは編集させていただきました。
甲冑研究してるモノから言わせると、残念ながらその甲冑は構成からして江戸中期~後期にかけて作られてるもので、戦国時代までは遡ることはないと考えられます。
家紋からして黒田家の甲冑には間違いないかと思いますが、官兵衛着用でない可能性が非常に高いです。(管理人による、途中コメント編集)
夢を壊すようで悪いのですが、事実を知っていただきたくコメントさせていただきました。