熊本県宇城市にある世界遺産、三角西港に行ってみました。
記事下に地図リンク、付近の飲食店情報を掲載しています
アクセス
高速道路、九州自動車道の松橋(まつばせ)インターを下りて、宇土市から57号線を走って半島の先をちょっと回ったところにあります。ここは、大牟田市の宮原抗、八幡製鉄所と並んで、世界遺産の場所なんですね。(参考:明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 – Wikipedia)
朝早く行ったので、空いていましたが駐車場もしっかりとあって便利です。
海と島と明治のハイカラな建物と
護岸近くを歩いてみました。昔はなんだか明るく画期的だったのかなという雰囲気を感じることができました。目の前は海。すぐ近くは、上天草の島。後ろには洋風の昔の建物が並びます。
護岸の石は少し丸みをおびていて、思ったより歩きにくいですね。
県令の「富岡敬明(とみおかけいめい)」さんの像です。当時、新風連(しんぷうれん)の乱(参考:神風連の乱 – Wikipedia)が起こり、焦土と化していた熊本の難民を救済したいという思いと、殖産興業政策によりいい港がなかった熊本のために、彼が県令の時代に港は築かれたとのこと。
こちらは旧三角海運倉庫。現在は、カフェとして運営されています。(和蘭館(三角港を見ながらお茶できるカフェ 列車に乗ってで紹介された))
ムルドルハウス、ムルドルとは港を設計したオランダ人技師、ローウェンホルスト・ムルデルさんの名前。三角港だけではなく、いろんな港を設計してるんですね。現在は物産館。おみやげものなどがおいてありました。
これも港と街の重要な施設で排水路。街に降った雨水を逃がす役目があります。
これは龍驤館(りゅうじょうかん)という建物で、肥後藩が明治天皇に献上した軍艦の名前に由来し、仮宿泊もされているとのこと。
中には模型や資料などが展示されています。
これは浦島館という建物。復元された建物だそうです。
三角港の歴史
行かれるのであれば、ぜひ以下のリンクを見て歴史背景を少しでも知っていかれるほうが楽しいと思います。
管理人の理解では、明治時代の殖産興業政策を背景に、当時荒れていた熊本の地に港を作ろうと思い立った。熊本は、干潮の差が激しかったり遠浅の海が多かったりして、物資を送る場所と港を作れる場所が無かったので地元の悲願だった。作ってみたところ、三角西港は意外に不便で、三角東港のほうがよく使われた。おかげで、西港のほうは当時のままの姿をよく残しており、世界遺産に選ばれることになったと、だいたいこんな感じです。
住所:熊本県宇城市三角町三角浦