黒田官兵衛ゆかりの福岡城のことを学ぶという目的で参加した福岡城址ガイドツアーでしたが、最後に鴻臚館(こうろかん)跡の説明がありました。今日の記事は、その鴻臚館についてのお話。
おそらく・・・多くの福岡県民と鴻臚館の思い出
昔、ホークスの本拠地は平和台球場で、高校、大学の時ここに応援に来ていました。しかし、鴻臚館とかいう昔の遺構が出たとのことで、球場がなくなるらしい。代わりに、ももちにドームができるらしいバイ。と当時は聞かされて。
だいたい、約20年前ですかね。。。こんな流れで、鴻臚館という名前を覚えることになりました。多くの福岡県民の方はだいたい同じじゃないでしょうか?
鴻臚館ちゃ、何ね?
ウィキペディアの力をお借りしましょう。要するに迎賓館ですね。官兵衛が福岡城を築城するよりも、はるかはるかずっと昔平和台球場跡地に建っていた施設です。ガイドさんのお話によると、当時太宰府に政庁があって、海外からの客人はまず鴻臚館で泊められたようです。そこから許しがでたら、太宰府まで行けるとのこと。ちなみに、鴻臚館はここだけでなく、平安京などにもあったんですね。
発見された、ドラマチックな経緯
それまで、鴻臚館は博多の呉服町付近にあったというのが定説だったそうですが、お医者さんだった中山平次郎さんが、万葉集の分析をして福岡城址にあったとの仮説を立てていたそうです。ところが、当時、福岡城は陸軍が入っていて、立ち入ることができなかった。そこで、どんたくなどのお祭りの日で、たまたま解放された日に行ってみて、瓦や青磁を拾って、ご自分の説に確信を得たそうですが、当時は、まだみんなあまり信じていなかったとのこと。
ところが、平和台球場の外野席工事の時に、遺構が見つかって俄然注目され、どうもこの説が間違いないと分かってきたとのこと。この時、中山さんは亡くなって30年ほど経っていたそうです。(上記、鴻臚館のウィキペディアリンク参照)
元グラウンド、鴻臚館跡に立つ
福岡城の説明が終わった後、ツアー一行はそのままグラウンドに入ります。広くて気持ちがいいこの場所は、一度発掘調査を行って、そのあと埋め戻されたそうです。
ちなみに、現在の発掘調査地はこんな感じ。
これは当時の柱のライン。また、大きな長方形の跡もあって、そこは古代のトイレだったそうです。
鴻臚館跡展示館へ
その後は展示館へ
建物や発掘調査の様子が展示されていました。また、先ほどの中山平次郎さんのお話もここで聞きました。
遠く1200年くらい前に、ここには鴻臚館があって中国や朝鮮の使者や交易の人たちを迎え、400年近く前には戦乱が終わり泰平の時代が築かれる前に、大きな城が築かれた。自分たちは、今、その同じ場所に立っているんだな~と思うと、なんだか不思議な気分でした。
官兵衛は知っていたのでは?
あくまで推測にすぎませんが、黒田官兵衛はこの地に福岡城を築いたときに、ここに鴻臚館跡があることに気が付いていたのではないかと言われているそうです。まあ、鴻臚館は、福岡城よりも800年くらいの前のことですから、当時はどんな理解だったんでしょうね?