黒田官兵衛ゆかりの地を巡る中津市の旅。合元寺に行ってみました。このお寺、壁が赤いんです。

記事下に地図リンク、付近の飲食店情報を掲載しています


中津駅北口を出て左に

赤壁元合寺
赤壁元合寺

中津駅北口を出て左側。商店街側に向かって大通りを左に進みます。

赤壁元合寺

福岡銀行、大分銀行の交差点が見えたら右へ。

赤壁元合寺

斜めに入るこの道を行きます。

赤壁元合寺

途中、風格ある建物。これが筑紫亭。中津の高級料亭で、鱧のコースが美味しいお店。

赤壁元合寺
赤壁元合寺

この門と、史跡めぐりコースの看板が見えたら、ここからが見学コースです。

寺町、史跡めぐりコース

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ここは、JR中津駅から徒歩10分弱くらいのところ。寺町と呼ばれる地域。ここは、中津でも寺が多く建立されているところ。城下町は、こういう場所が多いんでしょうね。福岡で言うと呉服町のような感じでしょうか。地図では、この赤い線のところになります

歴史の趣あるコース

赤壁元合寺

道はこんな感じ。石畳の道に両脇は白壁が続き、萩の城下町を歩いている感じです。

合元寺

赤壁元合寺

明らかに異彩を放つ一つのお寺があります。

赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺

これが合元寺。壁の色を赤く塗っている寺ってほかにあるでしょうか?この寺には、ちょっと悲しい由来があります。寺の前に書かれていた説明の文章を全文引用します。

黒田官兵衛が姫路から恵心僧都(えしんそうず)作と伝わる阿弥陀如来を移して、空誉上人(くうよしょうにん)という僧を開山に迎えて寺院を建立しました。

黒田氏の入国に反対した宇都宮鎮房(うつのみやしげふさ)が中津城内に誘殺された時、鎮房の従臣たちが待機していたこの合元寺にも黒田の手勢が押しかけました。鎮房の従臣は奮戦しましたが、ことごとく切り伏せられ、壁はその血で赤く染まったそうです。その後壁は何度白く塗っても血が染み出してくるので、ついに赤く塗ったといいます。寺は赤壁寺とも呼ばれています

(参考:城井鎮房 – Wikipedia

鎮房が秀吉の命に従わず、領地を移らなかったことが原因とは言え、領民にも慕われていた鎮房をこんなむごく殺してしまった。しかも、その家族や配下までと考えると、とても悲しい歴史ですね。

また、空誉上人にもこのあと、悲しい運命が待っています。興味があれば調べてみてください。

円応寺

赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺

これは円応寺というお寺。これも説明書きを引用します。

天正十五年(1587年)に黒田官兵衛の開基によって建立された浄土宗の寺院です。開山は真誉上人見道和尚。慶長五年(1600年)見道和尚は黒田氏に従って福岡に移り、同名の円応寺を開きました。

円応寺の境内に河童の墓と呼ばれる五輪塔があります。「下毛郡誌」によるとこの墓は、宇都宮鎮房が誘殺された時、鎮房に一の太刀を浴びせた野村太郎兵衛祐勝の墓だとされています。野村太郎兵衛祐勝は黒田二十四騎の一人です

福岡にも、黒田官兵衛の妻、光のお墓がある円応寺がありますよね。

西蓮寺(さいれんじ)

赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺

西蓮寺というお寺。これは、黒田官兵衛の末弟が開いたお寺なんですね。

西蓮寺は、天正十六年(1588年)に光心師によって開創された。光心師の俗名は「黒田市右衛門」であり、黒田孝高公(官兵衛)の末弟で父・黒田美濃守職隆公の逝去時に出家した。黒田孝高公が播州より豊前中津に入国の際に兄・孝高公の御徳を慕い中津に入り、寺町に西蓮寺を建立し初代住職となったのである。

以来、四百二十年以上の長きに亘り、現二十代住職までこの地で法灯を伝えている。

現在の本堂は、天保十四年(1844年)に再建されたもので、金剛棟札を見ると発起人は八才の童子「播磨屋助次郎」とある。この童子が山国川から小石を運び立派な本堂を建てる用意をしていることを聞き、総代・小畑親民は深く感激し再建に尽力した。

この本堂は、再建当時藩主であった第八代奥平昌服公がたびたびお茶会を催した場所でもある。

官兵衛ゆかりの寺で、管理人の目についたのはこんな感じでした。

ほか、管理人が撮影した写真

ほかにも、管理人が知らないだけで、いろんな由来のあるお寺があると思います。この通りを撮影した写真を掲載します。

赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺
赤壁元合寺

薬局なども景観に配慮した作りになっているのはすごいなと感じました。

住所:大分県中津市寺町973